【コラム特別篇】ヤン・ヴェルヘイエン『裁判の行方』を鑑賞して、考えたことを整理してみる。


※このコラムは本編の筋を最後まで解説しています。日本公開未定の作品ですが、ネタバレを避けたい方は読まないほうがいいです。




『裁判の行方』

<作品データ>

原題:Het Vonis (英題:The Verdict)
制作年:2013年
制作国:ベルギー
言語:オランダ語
上映時間:111分
フレーム:シネマスコープ


監督:ヤン・ヴェルヘイエン
出演:ケーン・デ・ボーウ、ヨハン・レイゼン、フィーラ・バーテンス、ヤッペ・クラース





この映画のまず大筋となる、事件の概要を刑法の例題っぽく説明すると、

Aはパーティーの帰り道、車で妻Bと娘Cと共にガソリンスタンドに立ち寄った。
Aが給油中、Bは道路の向かい側にある24時間営業の自動販売機スタンド(建物状になっており、一度店内に入ると外から中の様子を見ることができない)に立ち寄ると、店内が荒らされていることに気が付く。突然店内奥から現れたXに襲撃されたBは財布を強奪されかけるが、それを拒んだため、複数回殴打された出血多量及び、頭部を床にぶつけた衝撃により命を落とす。
Bがいつまで経っても車に戻ってこないことを不審に思ったAが同店舗に向かうと、入口でXに遭遇。店内で血を流して倒れているBを発見し、Xに掴みかかるが、逆にXにより暴行を加えられて昏睡状態に陥り、三週間後に目を覚ますことになる。
また、当時後部座席で眠っていたCは、Aが車を出たことに気が付き、Aを追いかける途中、横断しようとした道路でYの運転する車に跳ねられて即死。



まず問題になるのは、Xの罪責である。
ベルギーの刑法では、日本のそれと異なり、殺人罪にふたつの種類が存在している。

・謀殺……予め計画された殺害行為や、動機、方法などが極めて悪質で非難されるべきもの。
・故殺……一般的な殺害行為。突発的な行動によるもの。

日本の刑法では、第199条において刑罰が定められているが、慣例的に計画殺人のほうが突発的な殺人罪よりも罪が重くなる点で、このふたつの違いが生じているといえよう。

よって、この劇中において、Xの犯したBを殺める行為に計画性があったのか、と問われると、それは否定されるであろう。
Xの故意はあくまでも強盗にあったとみてとれる(具体的にそれは劇中で描かれていないが、人のいない場所を選んで強奪行為を行っている点から、そう考えることができる)。
そこに偶然Bが訪れたときに、殺意が発生していたとしても、それを証明することは非常に難しい。
強盗を行おうとした結果、それに失敗し、傷害の故意を持って複数回殴打し、結果として死に至らしめた。と考えるのが妥当なラインで、劇中でも触れられているが、強奪しようとした金品等を奪い去っていない点から、強盗致死は成立せずに、傷害致死が成立する可能性が高いのである。
当然ながら、刑罰の重さは殺人>強盗致死>傷害致死、であり、たしか劇中では5年程度の懲役と言われていただろうか。

加えて、Aに対する傷害罪は成立するとして、Cの事故死に対する因果関係はほとんど無いと言ってもよいだろう。
劇中で、AはCの事故に対してもXに対する怨恨を持つことになるが、それは単なる逆恨みにすぎず、映画中で全く登場することの無い、Cを跳ねた車を運転していたYに対して提起するべきであっただろう。



これを踏まえた上で、『裁判の行方』劇中の流れを整理して紐解いていこうと思います。

・逮捕されるX。しかし、検察側の手続き上のミスにより、捜査そのものが無効となり、Xは釈放される。
手続き上のミスによる凶悪犯の釈放は、ベルギーでは日常的に起こっており、社会問題とされている。劇中においても、この事件が極めて世間の注目の的となり、検察は世論からバッシングを受ける。
本作の主題は、10年以上前からベルギー国内で大きな問題とされている、この事案について、批判的な立場を貫くことであって、あくまで主人公の裁判というのはその副次的な役割を担っているにすぎないということである。



・納得のいかないAは、Xに対する復讐の方法を考え、不法な手段で銃を入手。Xの勤務先の前に数日間張り込んだ末、Xを射殺する。
8発の銃弾をXに向けて発射し、その内数発はXには命中せず、Xの背後の壁などを損傷するに至った。Xに命中した銃弾は、頰に1発、左肩に1発、腹部に2発であり、その腹部に命中した銃弾が致命傷となり、失血死したとされている。
しかし、至近距離から銃弾が放たれている描写、キャメラのアングルによって、倒れているXにさらに銃弾を浴びせているような描写が描かれており、強い怨恨を持って殺害行為に及んだと考えられる故、この行為それ自体は「謀殺」であると考えても間違いないだろう。


・Aは抵抗することなく、現場に駆けつけた警察により逮捕され、起訴される。
・Aの目的は、無罪を勝ち取り、司法を糾弾することである。
・例によって、Aは世論から英雄的な存在として扱われ、彼の裁判は注目の的となる。
劇中、法務省の関係者は「三権分立」を盾に、我関せずを貫こうとするが、マスコミからのバッシングに度々ボロを出したり、検察上層部に詰め寄ったりと、非常にわかりやすい描写を見せる。
あくまでも、本作の悪はAでもXでもなく、杜撰な司法制度である。



・裁判は、「Aが犯した罪が入念な計画によってもたらされた謀殺であり、極めて悪質であるが、被害者Xによって受けた精神的ダメージから、酌量されるべきであるが有罪である」とする検察側の論点と、「AはBCの死によって、社会的地位も幸せな家庭も失い、人格が変わってしまった。Xを殺したことはある種の心神喪失状態によって行ったことであり、無罪」とする弁護側の論点の争いである。

ベルギー刑法第71条で「Il n'y a pas d'infraction, lorsque l'accusé ou le prévenu était en état de démence au moment du fait, ou lorsqu'il a été contraint par une force à laquelle il n'a pu résister.」と定められている。要約すると、「心神喪失状態にあるときや、抵抗できない状態で強制されたときは違法にあたらない」といったところでしょうか(専門用語の訳は自信ないのですが。。。)
言うなれば、日本の刑法第39条1項と類似した規定があり、劇中で主人公Aは家族を殺されたショックから心神喪失状態にあったとして、無罪を勝ち取ろうとするわけです。劇中の字幕では「衝動的」という風に書かれておりましたが、衝動的に殺害行為を及ぶのは単なる故殺であるので、無罪になりようがありません。



・陪審評決の結果、彼は「無罪」を勝ち取る。しかしながら、彼は誰もいない家で、死んでしまった家族の思い出に浸りながら、これから先の人生を送らなければならない。

これに関しては、具体的に劇中には描かれません。
陪審評決が読み上げられていく途中から、音が途絶える演出で、傍聴席は歓喜に包まれ、主人公Aが涙を流す。次のシーンでAが家に帰ってくる描写があるからそう推察されるだけであり、もしかしたら有罪で軽い刑罰だった、と捉えることもできるかもしれません。ただ、ここでAが無罪にならなければ、この映画の要である、司法に対しての批判的構造は成立しないのです。

つまり、勘違いしないでいただきたいのが、日本のドラマとか、安直な法廷劇で描かれる感情論によって被告人である主人公Aが無罪になったということではない、ということです。
「奥さんと娘さんが殺されたから可哀想……」とか、「復讐のためなら仕方ないよね」などという馬鹿げた発想は、法廷には必要ないのです。
日本で近年、裁判員制度が導入されるようになって、実際のところ感情論で判決が下されるようなことはあまりないようですが、それでも映画で何てことなしに、切ない話が繰り広げられると、観客は被告人に同情してしまうきらいがあるようです。ましてや、それが陪審制の裁判であると、被告人が無罪になった理由が、「同情」であると勘違いする人も多々いますが、少なくとも本作はそういった理由で無罪になったわけではありません。
(筆者は鑑賞しながら、陪審評決が読み上げられるシーンで、ひたすら頭の中で、「有罪。ただし情状酌量で減刑される……」と唱えてましたが、普通に考えたらそれが無難かと思います。)
劇中で描かれている証拠量で、Aの心神喪失状態を証明することは難しいからです。


よって、映画中で突き詰めて描かれることは無いですが、「Aが無罪になった」=「司法制度のミスによって生まれた報復が認められた」ということになります。これは杜撰な司法制度の弱点を批判する大きな役割を果たすものであって、決して「報復が正しい」と言っているわけでは無いのです。報復行為が頻発すれば、当然のように治安が乱れる=治安を維持するためには、司法制度のミスをなくすことが大前提となる=だからきちんと仕事してくれよ。という意味合いでしょう。単純に言えば。

要するに、ここで映画の冒頭に出てくるカミュの言葉「正義など存在しない。あるのは限界だけだ」につながるかと。
本来の「正義」をもってすれば、Aは有罪になって然るべきです。ただ、その司法制度そのものに「正義」が喪われてしまっている現状においては、Aを有罪にすることなどはできない。ということでもあり、また、ラストシーンで家に帰ってベッドに横たわったAが、妻と娘の幻影を見ながら絶望のどん底に突き落とされることから、彼が背負う罰はただひとつ。終身刑よりも重い、「未来永劫つづく孤独」であるということが判るのである。



1 件のコメント:

  1. >>劇中の字幕では「衝動的」という風に書かれておりましたが、

    すごくすっきりしました!
    ここ、違和感あったのですが、翻訳上の問題(誤訳?)だったんですね!
    謀殺と故殺の違いとか、カミュの引用の件とかなるほどがいっぱいでした。
    とても参考になりました。どうもありがとうございました!

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