旧作レビュー:第1回・愛に勝てるのは愛のみで、武器ではない/アイヴァン・パッサー『幽霊伝説/フランケンシュタイン誕生秘話』

<あいさつ>

今月から新たに旧作のレビューを始めたいと思います。

「旧作」と一言でいっても、定義が曖昧ではありますが、
要するに記事がアップされた時点で劇場でロードショー公開されていない作品が
「旧作」と言われているようなので、もしかしたら割と新しい作品を紹介することもあるかと思います。

しかしながら、今回の企画で紹介するのは、「何故か埋もれている映画」です。

レンタルビデオからDVD、Blu-rayに進化していく中で、どういうわけか新しいパッケージができない(権利関係の問題もあると思いますが)けれど、映画史的に見れば重要なキャスティングやスタッフが作り上げた、隠れた作品を、
面白いとかつまらないとかは置いておいて(面白いに越したことはないですが)紹介しようという企画です。

毎月1日に更新していく予定です。(多少前後することはあるかもしれませんが)
※埋もれた作品を紹介していくので、簡単にレンタルできなかったり、そもそもレンタルしていない場合もありますので、その点はご了承ください。


それでは、第1回目の旧作レビューを始めたいと思います。




『幽霊伝説/フランケンシュタイン誕生秘話』

<作品データ>
原題:Haunted Summer
制作年:1988年
制作国:アメリカ
アスペクト比:スタンダード
カラー・白黒:カラー


<スタッフ>
監督:アイヴァン・パッサー
脚本:ルイス・ジョン・カリーノ
音楽:クリストファー・ヤング
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ


<キャスト>
フィリップ・アングリム
ローラ・ダーン
アリス・クリーゲ
エリック・ストルツ
アレックス・ウィンター


<総評>
邦題を聞くと、なんとも安っぽいホラー映画のように思える。おそらく、タイトルだけでこの映画をホラーコーナーに置いていたビデオ屋も少なくないだろう。
とはいえ、この邦題は何一つ間違ってはいない。副題である「フランケンシュタイン誕生秘話」というのがまさにこの映画の主題であり、これが有名な「ディオダディ荘の怪奇談義」をモチーフにした作品といえば、納得がいくだろう。


妻子持ちの詩人シェリーと、彼の愛人であるメアリ、そしてその妹のクレアの三人が、イギリスを離れてスイスへ辿り着くところから物語は始まる。
英国から離れた彼らは、馬車の中で優雅に過ごし、地滑りの危険性を感じた馬車引きから降りるように指示されてもそれを断る傲慢さを見せるのである。
そんなプライドの高さとは裏腹に、安くボロい山荘で一夜を過ごす彼らの姿が映し出される序盤は、幾分か自由奔放なヨーロッパ映画のような様相を垣間見ることができるが、これはアメリカ映画だけあって、一気に様子が変わっていく。
ホテルのレストランで周りの客にパンを丸めて吹き飛ばすような幼稚な遊びを繰り広げる彼らの前に、クレアと恋仲にあるバイロン卿が医師ポリドリを連れて現れたことから、彼らは5人でバイロンの別荘で過ごすことになる。
その場所こそが、ディオダディ荘という湖畔の別荘であり、この場所で「フランケンシュタイン」や、「吸血鬼」の物語が誕生したと言われている。

もちろん、史実を基にしたといえども、大きく脚色されている箇所がある。
たとえば、彼ら3人がバイロンを訪ねてスイスにやってきたとき、メアリとシェリーには幼い子供がいて、実際は4人で来ていたらしいが、映画ではあくまでも大人の登場人物のみに徹されていること。
そして、雨の多い冷夏で、彼らは別荘からほとんど出ずに談義に明け暮れていたと言われているが、映画では思いの外、天気は良く、時折雨の降るシーンはあれど、彼らが船に乗って湖の上で日中を過ごす描写などが登場する。

しかしながら、言い伝え通り、彼らはひたすら何らかの談義に明け暮れているのは史実通りで、ひたすら会話が繰り広げられるという点では、映画よりも舞台に適した題材なのかもしれないという予感がする。
それでも、チェコ・ヌーヴェルヴァーグの重要な作家であるアイヴァン・パッサーは、随所に訪れる映画的なチャンスを一切逃さない。
窓から見える湖畔や、小高い丘などの自然の風景を、余すことなくフレームに押さえ、物語に緩急をつけることに成功している。
そして何と言っても、一組のカップルと一人の女性に、両性愛者の男爵と同性愛者である医師の男の5人の関係性の描きこみが巧みであり、別荘で起こる一連の流れを愛情と友情の二つで解決させてしまうストーリーテリングには脱帽する。事実ほとんど何も起こらないで終わる映画でありながら、そこかしこに彼らの中で起こる恋愛を基本とした感情の動きを丁寧に捕えるだけ捕え、最終的に物語の主軸になるのは「友情」であるというあたり、アメリカ映画らしい正直さを持っているではないか。

両性愛者のバイロン卿と、医師ポリドリのラブシーンを、カーテン越しに描き、それを窓の下から見上げている中で雨を降らせる描写はひとつのこの物語の象徴的な立場にあって、それが終盤バイロン卿とメアリのラブシーンにおいても、カーテンを隔てて映すあたりは、映画らしい作り込みの巧さを感じさせるものがある。

もっとも、少なからず恐怖描写を描いている点も、潔さがあって良い。それを排除して物語を展開してしまっていては、あまりにも愚直で気取った映画に陥りかねない。そういった点で、フュッスリの「悪夢」の絵画を前にした談義から始まる、一連の悪夢による支配を描く描写の数々は、観客の不安感をある程度刺激しながら、品の良さをギリギリ保ち続けた、もっとも上手いやり方だったのではなかろうか。

何と言ってもフェリーニやヴィスコンティらと組んできた、ジュゼッペ・ロトゥンノによるキャメラは絶妙で、洞窟シーンの影のつけ方や、階段を上っていく人物の上階での影の動きを丁寧に捕らえたり、はたまた風景描写ではフィックスのみならず、少しづつキャメラを動かしていくのだから、極めてシンプルなやり方で観客を飽きさせることない映像の演出にも成功しているといえる。


同じ「ディオダディ荘の恐怖談義」を描いた作品は、ケン・ラッセル『ゴシック』や、ゴンザロ・スアレス『幻の城』と、なぜか80年代後半に一気に作られてそれから全く触れられていないような気がする。
同じ物語でありながらも、それぞれが違ったスタイルでこの史実に向かっているのだから、比較してみるに相応しい映画群であるといえるし、何よりこの物語の後に生み出された『フランケンシュタイン』と『吸血鬼』もまた、並べて鑑賞するに相応しい作品であるといえよう。





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