【新作レビュー】『ミッドナイト・アフター』フルーツ・チャン



『ミッドナイト・アフター』
(2014/香港)
監督:フルーツ・チャン
出演:サイモン・ヤム、ウォン・ヤウナム、ジャニス・マン、サム・リー


《感想》
登場人物たちが香港の街の喧騒の中を蠢き廻る冒頭シーンから、バスが走り出した途端に、登場人物たちの抜きにクレジットを合わせるオープニングシーンに、90年代の最も活き活きしていた時代の香港映画を思い出した。

そういえば、最近はめっきり香港映画の日本公開が少なくなり、少々寂しさを感じていたばかりだった。
今の香港映画界は、ジョニー・トーやダンテ・ラムらの硬派な秀作映画が多いイメージで、90年代後半に量産された、良い意味で突き抜けているアクションや、しょうもないコメディもあるのだろうが、日本を始めとしてほとんど輸出されていないのではなかろうか。
そんな中で、あの当時『メイド・イン・ホンコン』や『花火降る夏』、そして『ドリアンドリアン』で香港映画界を独走していたフルーツ・チャンが、久しぶりに香港で長編を撮ったと聞いたときから、妙に昂ぶるものがあった。

バスに乗り込んだ乗客たち。トンネルを抜けて目的地に到着すると、辺りは異様な光景であった。普段は人でごった返す香港の街の中に、車も人も何もかもがいなくなっているのである。携帯電話は通じるのに、誰も出ない。世界中のインターネットもある時間を境に更新されていない。彼らはお互いの連絡先を交換し解散すると、自ら事態を解明しようとする者や、離れた地に暮らす恋人に会いに行く者。そして、罪を犯す者。それぞれがそれぞれの方法で事態に直面し、次の日再び彼らは集まり、互いに真相を探ろうとするのである。

バスに乗った人々の映画といえば、まっさきにクリスチャン・レヴリングの『キング・イズ・アライブ』を思い出す。ゴーストタウンに迷い込んだ乗客たちが、極限状態下で「リア王」を演じるという奇抜な映画だ。しかし、本作はどちらかというと、飯田譲治の『ドラゴンヘッド』と、小説ではあるが東野圭吾の「パラドックス13」に近いものがある。
何故その事態が起こったのか、その伏線や鍵は無数に張り巡らされているが、この映画は結論を出さない。そもそもの発端だけでなく、細かい奇妙な現象さえも、ラストではすでにどうでもいいものになってしまうのである。
なんとも不思議な映画だ。

劇中で突如としてデヴィッド・ボウイの「Space Oddity」を歌いだすシーンがある。
昨年公開されたベルトルッチの『孤独な天使たち』の主題歌になったイタリア語版とは別の、彼の代表曲である。そういえば、ベン・スティラーの『LIFE!』でも効果的に使われていたが、本作ではそれも比ではない。クライマックスで再び流れる「Space Oddity」は、映画の興奮をより高める作用を持っていた。

社会的なエッセンスを取り入れて、登場人物が自ら罪人を裁く恐ろしい場面や、原発事故への言及がある一方で、往年の香港映画を思い出させるユーモアのセンスや、血なまぐさいスプラッター描写も交え、クライマックスのカーチェイス場面のようなアクションも備えながら、何故こんなにも泣かせてくるのだろうか。ラストで突然挿入される登場人物たちの回想シーンは、涙を堪え切れなくなる。
全部乗せのエンターテインメントの大傑作が久々に香港から生まれた。感無量である。



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