【新作レビュー】『ハングリー・ハーツ』サヴェリオ・コスタンツォ


『ハングリー・ハーツ』
(2014年・イタリア)
監督:サヴェリオ・コスタンツォ
出演:アダム・ドライバー、アルバ・ロルヴァケル、ロベルタ・マックスウエル


ヴェネツィア国際映画祭最優秀男優賞・最優秀女優賞受賞


(感想)
今年の東京国際映画祭のラインナップが発表された瞬間から、今年の個人的な大本命作としていた本作は、その期待値を容易に上回ってしまった。
正直、ここでは劇場公開作を書こうと思っていたのだが、これほどに衝撃的な映画は久しぶりであったので御容赦ください。

冒頭、ミナ(アルバ・ロルヴァケル)が中華料理店の男子トイレに間違って入り、すでに中にいたジュード(アダム・ドライバー)と共に閉じ込められる場面からこの映画は始まる。
ワンカットで撮られたその冒頭は、ユーモラスな会話が繰り広げられ(それでいてまったく下品さのないのである)、妙に興味をそそるボーイミーツガールシーンである。
そこから各シークエンスの境界は必ず一度暗転し、時間の流れの不明瞭さに加え、主人公の心情の不安定さを予感させるのである。
さらに、二人が結婚まで辿り着くまでの簡潔にまとめられたプロットにも、今後の二人の展開を予感させる挿話が織り込まれていて、転勤を言い渡されたミナに、ジュードが「仕事大事になったのか?」と問いかけるシーンとそして、結婚パーティのあとに鹿が射殺されるところを目撃し、そのあとしばらくミナがその夢を見続けるというシーンである。
徐々にミナが不安定になるにつれて、映画それ自体のバランス調和が乱れていく。それによって、観客である我々も、なんだか居たたまれない雰囲気を味わい始めるのである。

大まかなプロットとしては、不安定になったヒロイン・ミナが、生まれてきた子供に狂信的な愛情を注ぎ、外の世界から隔絶させようとする。しかし、子供が発育不良に陥り、ジュードは子供をミナから引き離し、家族の再生を図ろうとするというもの。
マリッジブルー、マタニティブルーなどの不安定な心理状態を描く映画はいくつもあるが、具体的に何がきっかけで解れていくのかが、不明確であるが故に、恐ろしくもある。


ヒロインを演じたアルバ・ロルヴァケルは、昨年のマルコ・ベロッキオ『眠れる美女』で存在感を発揮した、イタリア人女優。ヴェネツィア国際映画祭で女優賞を獲得した彼女の妹は、今年のカンヌ国際映画祭で審査員大賞に輝いた『Le Meraviglie』のアリーチェ・ロルヴァケル。本作での演技は、同形の作品として比較されるカサヴェテスの『こわれゆく女』におけるジーナ・ローランズや、ポランスキー『ローズマリーの赤ちゃん』におけるミア・ファローに匹敵するどころか、「静寂の演技」に関して言えば、その往年の名女優二人を凌駕していると言っても過言ではない。
夫ジュードを演じるアダム・ドライバーも、本作でヴェネツィア国際映画祭の男優賞に輝く。まだキャリア5年足らずとは思えないほどの安定した演技力を見せる彼の好演もすばらしいが、それ以上に母親役を務めたロベルタ・マックスウエルもまた素晴らしい演技を見せる。かなり登場人物の少ない映画ではあるが、彼ら三人のアンサンブルがあまりにも優れていて、引き込まれざるを得ない。もっとも、やはり一枚抜けているのはアルバ・ロルヴァケルか。

監督のサヴェリオ・コスタンツォという作家は、あまり日本では聞いたことのない名前である。劇映画はこれが4作目ということもあって、若手作家のような荒削りな感じはないものの、前述の通り冒頭のワンシーンワンカットや、中盤で見せる魚眼レンズ風の撮影(子供の主観ショットにも見えるが、そうでないようにも見える)など、かなり挑戦的な画作りをするあたり、今後の発展を期待したい。

序盤のシーンで、妊娠検査で陽性反応を見たヒロインが、家の屋上に上がるショットで、衣装のワンピースのスカート部分が風圧で膨らむ。すでにそのショットで、この映画の持つ映画的な演出部分に引き込まれ、そのあとのアイリーン・キャラの「フラッシュダンス」のテーマ曲で、懐かしさを覚える。
終盤、コニーアイランドを訪れるシーンで、電車の車窓から遊園地が見えると、この場所で撮影された数多くの作品が頭を過るのである。コニーアイランドといえば、ダーレン・アロノフスキー作品だが、彼の諸作で頻繁に登場する、コニーアイランドのシンボルが序盤の方で遠くの方に映ると、何だかわくわくした気持ちになるのである。

終盤に訪れる憂鬱な展開に、数年前に観たデレク・シアンフランスの『ブルーバレンタイン』を思い出してしまった。
同じように、若い夫婦に訪れる危機的状況を描いている作品ではあるが、明らかにこれまでの同じような夫婦の物語とは違う部分がある。
この『ハングリー・ハーツ』は、夫婦の対立的な構図を描いているにもかかわらず、両者とも、子供とともに三人で幸せになりたいと願っているのだ。それが、噛み合ずにいる様が、あまりにも歯がゆく、切ない。それを通り越してつらくなってくる故に、この映画は最初から最後まで「ラブストーリー」というジャンルから離れることはない。

あらゆる感情を揺さぶられ、場内が明るくなると放心状態でスクリーンを見つめ続けてしまうという体験を、数年ぶりに味わった。是非とも日本でのロードショー公開を期待したい。


0 件のコメント:

コメントを投稿