【新作レビュー】『あなたを抱きしめる日まで』

『あなたを抱きしめる日まで』
(2013/イギリス)


監督:スティーブン・フリアーズ
出演:ジュディ・デンチ、スティーブ・クーガン

第86回アカデミー賞(作品賞、主演女優賞、脚色賞、作曲賞)ノミネート


「Philomena」というタイトルは、ジュディ・デンチ演じる主人公のフィロミーナ・リーという実在の人物の名前から取ったもので、よくよく考えてみれば、人物名がタイトルになっている作品は数多くあれど、邦題に変わったときにその名前が入らない映画は意外と少ない気がします。
すぐに思い浮かぶものだと、トム・クルーズの『ザ・エージェント』(原題:『Jerry Maguire』)や、『黒いジャガー』(原題:『Shaft』)のように、キャラクター名ではいくつかあるが、実在の人物がモデルになっているものだと、最近の『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』のように、わざわざ加えることもあり、映画になるほどの実在の人物であれば、名前をタイトルに入れた方が宣伝が楽だというメリットがあるようにも考えられる。
つまり、『あなたを抱きしめる日まで』という邦題がついたということは、このフィロミーナ・リーという人物は日本ではほとんど知られることの無い人物であって、一方で本国イギリスではそれなりの知名度を持っている人物であるということなのだ。

この物語は元ジャーナリストのマーティン・シックスミスという人物の記したひとりの女性の物語を映画化したものである。
その女性こそがフィロミーナ・リーであり、彼女は若くして身ごもり、修道院に入れられると、幼い息子と離れ離れにされてしまったのである。それから50年に渡り、息子を捜し続けていた彼女と、シックスミスが出会うことから始まる、ある種のロードムービーなのである。
かつて、敬虔なカトリック教国であるアイルランドでは婚前交渉を行った女性が家を追い出されて、強制労働をさせられていた修道院があったと知られている。10年以上前にスコットランド人俳優のピーター・ミュランが映画化し、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞に輝いた『マグダレンの祈り』という映画があった。かつてマグダレン修道院で助産師をしていた女性の回想録を基に、そこで暮らす若い女性たちの姿を描いたその映画で、この事件の存在が世界中に知られることになった。
修道院での強制労働の実態を映し出した『マグダレンの祈り』に対し、この『あなたを抱きしめる日まで』ではその後の物語にフォーカスを当て、またもうひとつ大きな問題点を浮き彫りにするのである。
それは「人身売買」である。
実際にそれが行われていたのか、まだ当事者による正式な発表はないものの(マグダレン修道院での強制労働の実態については公式な謝罪が行われている)、この映画の劇中で描かれる人身売買の実情は、非常に狡猾なものであって、婚前交渉をし妊娠した女性が修道院に収容されると、そこで出産をし、同じ敷地の中で引き離されて生活をさせられる。しかも、生まれてきた子供に対する全権を放棄する旨の宣誓書を書かされ、気が付くと高額な金銭と引き換えに子供は他所へと売り渡されている。
そして宣誓書を残して、それ以外の書類はすべて破棄されている徹底のされ方だ。これはもしかしたら極端で映画的な脚色のされ方なのかもしれないが、少なくとも、この映画で描かれる、「引き離された子供を捜したくても手助けさえしてもらえない」女性たちは、間違いなく存在しているということを世界は考えなければならない。

98分間のこの映画の中で、フィロミーナ・リーとマーティン・シックスミスの出会いから、フィロミーナの過去の回想、そして息子探しのためのアメリカ旅行、修道院への問題提起に加え、同性愛者となっていた息子を受け容れる母親の姿など、数多いテーマ性を垣間みることが出来る。
しかし、それでも一切重い空気を感じさせないのは、イギリス映画界が誇る名匠スティーブン・フリアーズの為せる演出の力量と、脚本も務めたスティーブ・クーガンの絶妙な演技力と、何よりもデイム・ジュディ・デンチの存在にほかならない。
この3者によって生み出される化学反応によって、一歩間違えば重たく心にのしかかるような物語を軽やかに表現し、笑えて、泣けて、考えさせられる。これが映画のあるべき姿ではないだろうか。
最も映画に相応しい物語を、最高の形で映画にした名作が、イギリスから世界に向けて贈り出されたのだ。




3/15よりシネスイッチ銀座、渋谷文化村ル・シネマほか全国にてロードショー

http://www.mother-son.jp





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